沢木耕太郎 『無名』

数年前から父と息子という関係に興味を抱くようになった。恐らく、仕事を始めたことと実家を出たことが大きいのだろう。よく考えるのは、当時自分と同年齢の父は何を考えて暮らしていたのだろうかということ、或は、父が自分の今の状況にいたら何を考えるだろうかということ。そういうことを考えるのは大抵、迷っているときか行き詰まっているときで、勿論だからといって何がどうなる訳ではないのだが、どこか身が引き締まるというか、「ああ、まだまだ敵わんなー」という感覚を覚える。それでいて「まったくあの人は…」と、ふっと吹き出してしまうような思いもある。


無名 (幻冬舎文庫)

無名 (幻冬舎文庫)


世の父子は一体どのような距離感でいるのだろうか。あるいは、自分と父の関係に客観的に興味を持つということはよくあることなのだろうか。
沢木耕太郎のそれは、結論としては驚くべきものだった。尊敬と畏怖の中に強い抑圧が見いだされる自己洞察のクライマックスには鳥肌がたってしまった。が、かといって全く理解できないものではなかったし、むしろ共感を覚える話も多かった。フロイトオイディプス・コンプレックスを筆頭にこの手の関係性は心理学の分野ではよく研究されているのかも知れない。まあ、自分はよく知らない。


それにしても沢木耕太郎恐るべし。稀代のノンフィクション作家に自身を語らせるとこんな話がこぼれてくるのか。いや、話の筋は至極平凡なのだが、いつも端々にしっかりと読ませる「何か」が用意されている。その配置バランスたるや絶妙で。


とりあえず、週末にでも実家帰ろうかな。

お気に入りYouTube

第二回 お気に入りYouTube大会を勝手に開催します。


坂本龍一 戦場のメリークリスマス

この曲、めっちゃ好きやねん。



チームラボ制作PV Last Days

この映像、めっちゃすごいねん。
水墨画を立体化するという発想には参りました。



fantastic plastic machine - there must be an angel

fantastic plastic machineでもかなり古めだけど、有名なカバー。
これ聞きまくってたの大学の時だったか。
編曲もさることながら、一段ずつ階段を上るがごとき前奏がたまんなく好き。



塩田剛三

最後は唐突に塩田剛三。笑
合気道の開祖、植芝盛平の弟子で伝説的な達人。
パッと見何が起きているのかわからないのだけど、映像の後半になってくると
開いた口が塞がらなくなる。

泰平の民

司馬遼太郎の『人間の集団について』をぱらっと読んだ。

人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)

人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)

この本には少し思い入れがある。大学時代に親友とタイ・ベトナムカンボジアを回った際にホーチミンの古本屋で買った文庫本だ。司馬遼太郎が内線下のサイゴンを訪れた中で感じたことをまとめたもので、30年後の同じ場所でその本を手にしていることに妙に感心したりした。ホーチミンのカフェに加藤あいを可愛くした感じの店員がいたがために何度か通って、そこでもこれをぱらぱら読んだ。あの子名前なんだっけな。元気かな。

日本は弥生農耕が入ってきて以来、さまざまの時代を経、昭和三十年代の終わりごろになってようやく飯が食える時代になった。日本人の最初の歴史的経験であり、その驚嘆すべき時代に成人して飢餓への恐怖をお伽話としか思えない世代がやっと育ったのである。(中略)こういう泰平の民が、二千年目にやっと出来上がったのである。目に力をうしなうというのはそういうことであり、人類が崇高な理想としている泰平というのはそういうものであり、泰平のありがたさとは、いわばそういう若者を社会が持つということかとも思われる。(中略)
江戸期を支えた倫理も、明治期の人々の精神的骨格も、あるいは中国の史記列伝に出てくる人間のすさまじい生き方も、それらのモラルが鮮烈であればあるほど、痩我慢から出来あがっている。餌は自分で拾わねば飢えるという緊張 ー痩我慢ー が人類の精神の歴史であったといえるが、餌はいつでもどこでもあるという社会になれば、人間を人間たらしめている文化性は変わらざるをえない。

『人間の集団について』p.74

この文章は言葉では戦後という時代を肯定しているようでその実、彼の葛藤というか寂しさみたいなものに溢れている。この感覚は戦争を跨いだ人間の実感であって、戦後に生まれた人間には近いところまで想像はできても、その通りに実感することはきっと出来ない。それでも、少なくとも「目の力を失うことが人類の崇高な理想たる泰平の証」などと言ってはいけない

なにが言いたかったんだろう。緊張感ではなくて、矛盾や混沌という切り口で時代と人間を俯瞰したらどうなるだろう。矛盾の塊である人間が、混沌の海である世の中で、その時代特有の喜怒哀楽と向き合って、なんらかの秩序や理想を達成しようとする過程自体にそう大差はないのではないか。いや、そりゃ大差あるっちゃあるよ。でも、泰平の時代が民の尻をたたいてくれないというのは、これはこれで異質の過酷さがあるし、そういうものの質や量を比較すること自体にあまり意味はない。いつでもどこでもだれとでも、顕在的であれ潜在的であれ、ジレンマや衝突や挫折やなんやかんやが絶対にあって、ひとりひとりはそれと向き合うことを我慢強く冷静に着実に重ねて行くしかないというか。

オチなし。おやすみなさーい。

与論島の写真

先々週行ってきた与論島では気違いのように写真を撮りました。
一人旅だと写真撮り放題だということに気づいたぜ。
Flickrにあげたのでよかったら見てください。


http://flickr.com/photos/61438197@N00/


空や海のあまりの美しさに茫然自失としたこと数しれず。

与論島

明日早朝の飛行機で与論島に行ってきます!!一人で。
沖縄の北にある小さな島です。
一週間休みを頂けることになって、急遽決めました。


海しかない島なので、海堪能してきます。わーい。


Coldplay - Viva La Vida

仕事振返り その1

去年の異動後、半年あまりかけて必死に取り組んできた仕事がようやく形になりつつある。まだ完全に終わった訳ではないのだけど、沢山のことを学んだので少しずつ振り返り始めてみる。

まず技術面。今回の自分の大きなテーマは「混沌の中にO/R Mapping機構を持ち込む」だった。様々な制約から既成のフレームワークを使うことは難しいので、試しに自分でそれっぽいものを組んでみた(ちなみに最も参考にしたのはMartin Fowlarの『エンタープライズ アプリケーションアーキテクチャパターン (Object Oriented SELECTION)』で、まさにトランザクションスクリプトドメインモデルの狭間で散々悩ませてもらった)。それなりの時間をかけて出来上がったものはもちろん稚拙で欠点も多く、「それっぽい」域を脱し得なかったが、実装期間の後半にはそれなりのメリット(ビジネスロジックを実装するスピードの向上やつまらないバグの削減)を発揮するようになった。…なったのか? まあこれが今の力の限界。

しかし、それよりも自分にとって大きかったのが、O/R Mappingについて悩み続けたことで、永続化レイヤー周辺の一般的な問題をある程度身を以て体験できたことだった。自分の中で一番引っかかったのは、メンテナンス性とパフォーマンスのジレンマだろうか。大量データを対象とするバッチ処理と画面から操作する同期処理の狭間で、どこまで冗長な基盤やドメインモデルをあてがうことができるのか。基盤が厚くなればなるほどBlackBox化と時間・空間計算量の冗長化が進む。この辺はHibernateなど既存のO/R Mapperを利用したとしても、高度なチューニングを要する頭の痛い問題なのではないだろうか。

この問題を避けるひとつの解決策はiBatisなど層の薄いO/R Mapperを使うことだという指摘を受けたことがある。最下層は既成のフレームワークを用い、それを必要に応じて最適な形にラップするというのはなるほど妥当な選択かも知れない。

結論。今回は永続化レイヤーの世界ってば面白いということに「気づく」という成果をあげました。まだまだまだまだまだ経験も知識も脳も足りん。

日本近代史を

日曜日に『男たちの大和』を観た。内容自体は太平洋戦争末期の大和に乗り合わせた個人にフォーカスしてその惨状を描いたもので、蒼井優が圧倒的に可愛かったことを除き、ありがちといえばありがちな映画だった。それでもずしんと来るものがある。


最も単純にメッセージを読むならば、「この国(あるいは人々)はあのようにして守られ、生き延びているということを思え」かもしれない。それはそれで思うところは沢山ある。しかしその瞬間に、(日本だけではなくあの戦争に関わったすべての国を含め)なぜあそこまで突っ走ってしまったのかということを思わずに居れない。その瞬間に、結局僕らは自分たちの歴史(特に近代)を消化しきれないままここまで来たのだということを考えずに居れない。消化不良のまま盲目的に経済成長に走り、行き詰まり、社会も個人も閉塞感に苛まれている。結局現代という世界は、当時の『軍事力』という指標が『経済力』に置き換えられただけの世界なのではないかとふと思う。そりゃもちろん戦争より経済競争の方が一億倍ましだけども、競争に巻き込まれあるいは置いて行かれた人々の悲惨さや勝者の空漠さを本質的にはぬぐえないという点では同じことじゃないのか。何のために戦争するの?という問いと、何のために経済競争するの?という問いを並べてみると少しぞっとする。


よくわからない。上のはあまりに安っぽくて安易な呟きだし、何だかんだ少なくとも今の日本がそれほど悪いとも思えない。ともあれ、僕らの今生きている時代は近代から「直結」しているわけで、それを個々人が自分なりに消化することはぜひとも必要なことだと最近思うようになった。それは自分の生い立ちを知ることに等しい。それ無しに自覚的な自立などできるわけがない。


明治・大正・昭和を生きたあらゆる人々(政治家・学者・文士はもちろんのこと、軍人、農民、漁師、猟師、商人、役人や、鈴木さんや田中さんや佐藤さん)が、現代とは異なるどのような状況の下で、何を考えていたのかということをもっと知りたい。手に余ることは承知だい。