沢木耕太郎祭 『テロルの決算』

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

60年安保闘争が収束を見せた直後の1960年10月12日、日比谷公会堂で開催された自民・社会・民社の三党首立会演説会において、当時社会党委員長だった浅沼稲次郎が17歳の右翼少年山口二矢(おとや)に刺殺されるという事件が起きた。その後山口は少年鑑別所内で自殺している。この事件は、起きた事象の表面をなぞれば「右翼の鉄砲玉が日本の赤化を阻止すべく左翼の親玉を刺殺した」という単純な物語になりかねない。それを沢木は、浅沼と山口が日比谷公会堂で交錯する瞬間までの各々の人生を、外的・内的状況の変遷にフォーカスして丁寧に追うことで濃密なノンフィクションに仕上げている。

その詳細は省くが、山口も浅沼も尋常でなはい真剣さでもって当時の日本を憂いていた。それを、何が一方の一方による殺害にまで結びつけたのか。やりきれない話だが、他ならぬ両者の「尋常でない真剣さが」ということになる気がする。その悲劇性は以下の文章に集約されている。

p.106
ある意味で哀しすぎるほど哀しい浅沼の一生を、二矢は「戦前左翼であったが弾圧されると右翼的な組織を作り、戦後左翼的風潮になると恥ずかしくもなく、また左翼に走り便乗した日和見主義者」のそれとしか見ようとしなかった。

p.197
浅沼の真の悲劇とは、このような少年に命を狙われるということ自体にあるのではなく、彼の生涯で最も美しい自己表現の言葉が、ついに人びとの耳に届くことなく、すべてが政治的な言語に翻訳されてしまったことにあったのかもしれない。

この本を読むにあたって気をつけていたのは、政治の季節を生きた人びとが何を考えていたかという事だ。この事件の主人公たちを追うことで、ある程度当時の空気にリアリティを持つことが出来るようになった。当時自分が学生だったら、どちらかの陣営に身を寄せて学生運動に参加していたのだろうか。していないとは言い切れないし、ではあの時代に他に何をすべきだったのか、すべきことがあったとして実際にできたのか、検討もつかない。

で、わざわざそんな昔に思いを馳せる事に何か意味があるのか。あると思います。
江戸・明治・大正はともかく(もちろん厳密には「ともかく」ではないのだけど)、昭和という時代はまだ「生」で現代に直結している(特に、僕らにとってリアルにイメージできるぎりぎりのところが戦後以降なのではないだろうか)。これから生きて行く方向を決めるにあたって、今という時代の出生を皮膚感覚を伴うように知ることは重要なことだと思う。ちなみに安保闘争収束以降、日本は掌を返したかのごとく高度経済成長へと突入して行く。その意味においても、1960年前後に何があったのかは知っておきたい。


最後にもうひとつ。後書きに沢木の興味深い告白があった。少し長いが引く。

p.369 あとがき 3
私は少年時代から夭折した者に惹かれつづけていた。しかし、私が何人かの夭折者に心を動かされていたのは、必ずしも彼らが「若くして死んだ」からではなく、彼らが「完璧な瞬間」を味わったことがあるからだったのではないか。私は幼い頃から、「完璧な瞬間」という幻を追いかけていたのであり、その象徴が「夭折」ということだったのではないか。なぜなら、「完璧な瞬間」は、間近の死によってさらに完璧なものになるからだ。私に取って重要だったのは、「若くして死ぬ」ということでなく、「完璧な瞬間」を味わうことだった・・・。

だから、沢木耕太郎を読んでいて面白くて仕方がないのだと納得した。